20件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

  • 1

仙台市議会 2016-09-27 平成27年度 決算等審査特別委員会(第3分科会) 本文 2016-09-27

戦災によって失われた屋敷林などからなる杜の都は、戦災復興事業で新たな杜の都の街路樹に転生したのであります。そこには我が仙台先人たちによる失われた仙台そのものの回復せんとする強烈な思い、さらには杜の都を普遍的な次元にまで高めんとする強い理想があったのであります。  

仙台市議会 2015-06-22 平成27年第2回定例会(第5日目) 本文 2015-06-22

戦災復興事業により整備された青葉通や定禅寺通は、杜の都のシンボル市民の憩いや交流の場として、かけがえのないこのまち財産となっております。  先達の偉業は、東日本大震災からの復興に懸命に取り組む我々に、単なる復旧を超えて、より災害に強く新たな魅力を持ったまちをつくり出し、次の世代に残していくことこそが、我々の責任であるととともに希望でもあることを教えております。  

仙台市議会 2010-09-24 平成21年度 決算等審査特別委員会(第4日目) 本文 2010-09-24

138: ◯市民局長  本市は市街地の広い範囲が戦災復興事業等によりまして、まちの形を大きく変えておりますことから、旧町名復活実現した金沢市などとは必ずしも同様の環境にあるとは考えておらないところでございます。また、市民の方々からの復活についての要望もないなど、市民の機運の高まりも見られないことから、歴史的町名復活実現は困難であると考えております。

仙台市議会 2010-09-15 平成22年第3回定例会(第5日目) 本文 2010-09-15

さて、仙台市がきれいなまちとして今日ありますのは、とりもなおさず、焼土と化した城下町仙台の戦後の壮大な戦災復興事業での都市計画事業成果であったことは論をまたないところでありますが、それをなし得たのは、杜の都仙台復興への多くの市民の強い願いと思いがあったからこそにほかなりません。そして、そのシンボルが定禅寺通であり、青葉通であるわけです。

仙台市議会 2010-02-26 平成22年第1回定例会(第5日目) 本文 2010-02-26

仙台の場合も、先人の英知により、戦前、藩政時代からの屋敷林寺社林が多くあり、広瀬川や青葉山等、豊かな自然が囲んでいたことから、いつのころにか杜の都と呼ばれ、第二次世界大戦の大空襲で緑を焼失したものの、戦災復興事業によってケヤキ並木が植林され、現在の町並みが形成されました。  

仙台市議会 2010-01-21 都市整備建設協議会 本文 2010-01-21

45: ◯公園課長  広瀬通青葉通と定禅寺通と同様に戦災復興事業でつくられた道路でございますが、青葉通と定禅寺通戦災で消失した緑を復元するという意味からボリューム感のあるケヤキに当初から植えられたという経緯がございます。  一方、広瀬通昭和三十五、六年ぐらいまでは柳とニセアカシアが植栽されておりました。それが生育不良などによりましてイチョウに樹種変更されたものでございます。

仙台市議会 2009-06-15 平成21年第2回定例会(第2日目) 本文 2009-06-15

かつての岡崎市長による戦災復興事業での道路建設はよく引き合いに出されます。  以上は私の感想でありますが、所感をお伺いいたします。  さて、次に、市長が推進してきた実際的な事業に関して、細部についてまでではありませんが、私がこれまで気にしてきた事業何点かについて、その成果あるいは実情についての市長自己評価を伺ってまいります。  

仙台市議会 2009-03-11 平成21年度 予算等審査特別委員会(第9日目) 本文 2009-03-11

その後、戦災中心部が大火になったわけですが、その戦災復興事業で植栽された青葉通、定禅寺通を初めとする街路樹屋敷林にかわりまして杜の都を象徴する存在となっております。 47: ◯山口津世子委員  先ほどお話ありましたように、5万4000本以上に及ぶ街路樹があるわけですけれども、本市における街路樹の役目とはどのようになっているのか、お伺いしたいと思います。

仙台市議会 2006-06-14 平成18年第2回定例会(第2日目) 本文 2006-06-14

しかし、昭和二十年七月の仙台空襲で、杜の都の原風景である屋敷林は焦土と化し、その失われた緑を取り戻すために行われたのが戦災復興事業でございます。この事業では、青葉通や定禅寺通を当時としては画期的な広幅員道路として整備し、そこに市民の協力によりケヤキが植栽され、その並木景観は、市民が愛着と誇りを感じる歴史的、文化的財産へと成長したのであります。

仙台市議会 2005-06-21 平成17年第2回定例会(第6日目) 本文 2005-06-21

第二期は、戦災で失われた緑を取り戻すために行われた戦災復興事業で植栽されました、青葉通や定禅寺通ケヤキ並木に象徴される市民共有型の杜の都の実現でございました。そして、第三期、環境世紀と言われる二十一世紀においてであります。地球環境問題に積極的に対応した杜の都を、市民事業者との協働によって創造し、将来にわたってこれを継承していく百年の杜づくりの取り組みがそれであります。

仙台市議会 2001-10-10 副都心調査特別委員会 本文 2001-10-10

やはり仙台市の都市計画を語るときに、広瀬通等と言ったらいいと思うんですけれども、正確には戦災復興事業ということで広瀬通とか、あと青葉通細横丁とか、定禅寺通とかというものも、その中に含まれていたと思うんですけれども、また、私、小学校の高学年から中学、高校になる間も、こういう議論が闘わされてきたんです。

仙台市議会 2000-09-11 平成12年第3回定例会(第3日目) 本文 2000-09-11

昭和五十二年、戦災復興事業が完了したのを記念し、昭和五十六年、仙台戦災復興記念館が完成し、開館以来今日に至るまで十九年の年月を数えるに至ったのであります。その間、展示ホール中心に、仙台空襲復興をテーマにした展示を初め、仙台の移り変わりをとらえた航空写真展広島原爆展の開催など、地道ながらも継続的な活動を展開して今日に至っているわけであります。

仙台市議会 1999-11-19 都市整備建設協議会 本文 1999-11-19

33: ◯緑政部長  この都市部につきましては、やはり杜の都の出発点屋敷林といった緑だったわけでございますけれども、それが戦災復興事業街路樹という形に置きかわってまいりました。30年代から植えられてきた街路樹がやっと育ってきたわけでございますが、それに対するいろいろな問題点──今御指摘いただきましたような問題点が出てきていることは確かでございます。

仙台市議会 1999-03-09 平成11年度 予算等審査特別委員会(第8日目) 本文 1999-03-09

147: ◯鈴木繁雄委員  先ほど市長を初め皆さん方カラーコピーをお配りいたしましたが、あの地域というのは都市計画道路というのは1本、戦災復興事業細横丁道路を整備をしたと。あとは古い藩政以来の道路そのままなんです。にもかかわらずと言うとおかしいですけれども、商業地域であるにもかかわらず、道路とか何かが非常に狭隘であったりとか、江戸時代の殿様とかお侍さんが通ったときの道路そのままなんです。

仙台市議会 1998-10-01 平成9年度 決算等審査特別委員会(第11日目) 本文 1998-10-01

仙台市を例にとりますと、戦災に遭った西部の地区については戦災復興事業ということで今日の仙台市の都市計画の基礎になっておりますし、駅の東部につきましては新寺地区そして駅東第一ということで、ただいま第二地区を実施しているわけですが、御指摘のように、これまではどちらかというとハードを中心に行政の展開がなされてきたのではないかと思います。

仙台市議会 1997-12-15 都市整備建設委員会 本文 1997-12-15

アエルの問題も例に出されましたけれども、私どもは、あの事業は単なる開発事業ではない、いわゆる公共事業と複合した事業であるということを再三申し上げているわけでございまして、こんなことを言ってはおしかりを受けるかもしれませんが、戦災復興事業岡崎市長が今の青葉通二番丁通道路をつくる際に「何だ、仙台市街地に飛行場をつくるんじゃないか」ということでの反対があったというのが記録に残っております。  

仙台市議会 1991-03-01 平成3年第1回定例会(第4日目) 本文 1991-03-01

戦災復興記念館建設基本構想というのが、昭和五十四年五月に発表されていますが、その建設目的には、「仙台戦災復興事業の完了を契機に、仙台市民戦災復興へのたゆまぬ努力とその偉大な成果を記念し、戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に伝える殿堂として、戦災復興記念館を建設する」と書かれてあります。

  • 1